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団体紹介記事

豊田の山村地域で、都市部との共生の可能性を広げる

三河の山里コミュニティパワー(MYパワー)

自動車関連産業が発展した「クルマのまち」として知られ、人口42万人の中核市である愛知県豊田市。世界をリードするものづくり都市としての顔をもつ一方、市域のおよそ7割を森林が占めていることから、自然豊かな山村としての顔も併せ持っています。

そんな豊田市の山村地域の課題解決に取り組んでいる「株式会社三河の山里コミュニティパワー(MYパワー)」へ、東京からのUターンで2022年に入社した鈴木雄也さん。

「学生時代、身近で「世の中を変えていこうじゃないか」と社会課題に取り組んでいる人たちに出会ったんです。そんな姿が、純粋に格好いいと感じたんですよね。」

入社してから、2年と数か月。今では地域づくり事業や地域エネルギー事業など、社内のほぼすべてのプロジェクトに関わり、プロジェクトリーダーとしても活躍されている鈴木さんに、MYパワーでのお仕事についてお話を伺いました。

△鈴木雄也さん

資本も人材も、地域から

大学生の時に、地元の豊田市を出て、名古屋市の大学へ進学された鈴木さん。学生時代にIT関係のベンチャー企業を立ち上げたのち、同じIT系の企業へ入社。東京での営業マンを経て、今に至ります。

当時は、地域やエネルギーのことにはまるで関心がなかったと鈴木さんは言います。MYパワーにはどのような縁で入社されたのでしょうか?

「東京からのUターンで地元に戻り、まちづくりに関わっているという人から、一つの事業から次の事業へ、課題から課題へ、人から人へと展開していったという話を聞きました。地域で社会課題に挑戦することにはロマンがあって、想像以上にキャリアの広がりがあるんだなと感じたんです。

せっかくなら地元で、まちづくりに着実に取り組んでいる組織とつながりたいと思っていたところ、豊田市で行われる地域イベントを見つけて、そこにMYパワーが関わっていることを知りました。「一度、お話を聞かせてください」と自分から問い合わせをしたことを覚えています。」

一見、落ち着いた雰囲気をお持ちの鈴木さんですが、これまでのエピソードを伺う中で、その言葉から、まちづくりや地域に対する熱い想いが見え隠れしていることを感じます。

MYパワーのスタッフは、役員やパートタイマーも含めて現在16名。

地域内で経済を回す仕組みをつくるため、スタッフはできるだけ地域から採用するということがMYパワーの理念なのだそうです。

△MYパワーのスタッフの皆さん

MYパワーが発足したのは、2019年。社長は長年、この山村地域で医療を支えてきた足助(あすけ)病院の名誉院長でもあります。

大きな病院へのアクセスに課題があるこの過疎地の現状に危機感を持ち、地域で互いに助け合う仕組みづくりが急務だと感じたことが、会社設立のきっかけとなったのだとか。

こうした由来から、会社の事務所は足助病院の中に置かれています。

MYパワーは、「地域を元気に!」を合言葉に、電力小売事業や再生可能エネルギーの開発、地域福祉、地域活性化に取り組み、設立から6年が経ちました。高齢化や人口減少、交通などの課題を持つ山村地域の中で、事業所や公共施設のほか、家庭向けに電気を供給し、その収益の一部を地域の困りごとの解決に使うことで、持続可能なまちの実現を目指しています。

株主は、一般社団法人三河の山里課題解決ファームや地元金融機関のほか、地域住民の方もたくさんいらっしゃるそう。

「地域住民による地域住民のための会社」をめざし、資本も人材も地域から確保しているのが、MYパワーの大きな特徴です。

△MYパワーの事務所がある足助病院

地域におけるMYパワーの役割

鈴木さんの一日は、主に市役所や社会福祉協議会、地元の高校など、プロジェクトパートナーとの打ち合わせが中心です。日々、地域の様々な立場の人たちと顔を合わせ、対話を重ねておられます。

鈴木さんは、打ち合わせの場だけの関係性ではなく、ともに地域活動や草刈りなどに取り組み汗をかく中で、信頼関係を構築することを大切にしているのだそう。

△地域住民の皆さんとの活動の様子

鈴木さんが中心的に関わってきたプロジェクトとして、「敷島自治区の拠点づくり」があります。このプロジェクトは、敷島自治区内の住民や事業者にMYパワーの電気を利用していただき、その収益の一部を還元して、支え合い拠点「しきしまの家」を整備するというもの。

拠点の整備にあたっては、かつて保育所として使われていた築50年の建物を借り、自治区の住民やMYパワーをはじめとする支援企業、大学生が参加。鈴木さんも、頭に手拭いを巻き、ハンマーを持って、古い壁を壊していく作業を繰り返したのだとか。

こうした作業を通じて、地元住民と仕事を越えた関係性になったというエピソードは、鈴木さんらしいと感じます。

その後、組織が立ち上がり、MYパワーからの寄付金のほか、クラウドファンディングや補助金を活用して資金を集めてエアコンやトイレなどが整備され、「しきしまの家」が完成しました。

「しきしまの家」は、都市部とつながりながら住民が支え合う、地域の拠点の姿をめざしています。スタッフが常駐して、都市部からの関係人口と交流するプラットフォームになるほか、移住相談・農業相談の窓口、さらにはレストランもオープンし、地域の憩いの場となっています。継続的に訪れる「敷島ファン」も増えているのだとか。

「一度見に来てもらったら、驚かれると思いますよ。こんな山奥の地域に、年間5千人以上が来られていますからね。」

鈴木さんは目を細めながら、柔らかい笑顔で語ります。

△完成した「しきしまの家」

たすけあいプロジェクト

MYパワーの事業内容の一つに、「『たすけあいプロジェクト』の継承、発展」があります。

たすけあいプロジェクトとは、この山村地域で、高齢者がいつまでも生き生きと暮らせるよう、地域での見守りやお出かけの促進などを行うもの。MYパワーが誕生する3年前から、足助病院と名古屋大学の協働による地域医療・地域福祉の実証事業として実施されてきました。

産学連携のプロジェクトとして一定の期間を終えた後、地域新電力事業とともに「たすけあいプロジェクト」を運営していく母体として、MYパワーが誕生したという経緯があります。

このような山村の過疎地では、財政の大部分を国の交付金や補助金に支えられているという現状があります。

「いつまでも行政に頼っていてはいけない。地域側でできる限り財源をつくり、主導権を取ってやっていく、やれる範囲を増やしていくことを目標にしています。」

鈴木さんは、そう語ります。

目指すは、都市部と山村地域の共生モデル

「小学校一年生の時に東海豪雨が起こり、大雨による大規模な洪水を経験しました。それは、地元の小学校の1階部分が水に浸かってしまったり、近くの保育所が流されたりするほどの水害でした。森林の治水機能の限界を超え、下流域である市街地を守る堤防は決壊寸前で、都市機能が麻痺する危機があったと聞いています。こうした豪雨災害においては、都市部と山村地域が互いにリスクをカバーし合わなければならないと感じました。

山村地域が人や経済面などを確保し、自立を目指すということではなく、また都市部への依存でもなく、都市部と山村地域が互いの良い面で互いの課題を補い合うことができないかと考えています。同じまちなんだから、一緒にどういうことができるかということを話し合い、形にしていきたいです。」

総面積に占める森林の割合、市街地面積の割合が日本全体のそれとほぼ同じであること、また産業のまちとして知られていることなどから、「日本の縮図」や「日本の象徴」と表現されることがあるという豊田市。

「森林と市街地が共存しているこの豊田市で共生モデルを実現させることに、社会的な意義があると思っています。この共生モデルを豊田市で実現し、その他の地域でも広がっていけば、持続可能な日本を実現するカギになるはず。」

大学生の時にNPO業界に入り、海外での活動もされていたという鈴木さん。そこで培われた広い視野と行動力が、目標に向かって一歩一歩、力強く歩みを進める原動力になっているのかもしれませんね。

△森林活動を行う鈴木さん

大きな目標の達成に向け、まずは自分の持ち場で貢献したいと語る鈴木さん。

「自分を育ててくれたこのふるさとを、未来に残していきたい」

鈴木さんの挑戦は、これからも続きます。

会社概要

会社名株式会社 三河の山里コミュニティパワー
所在地愛知県豊田市岩神町仲田20番地 足助病院内(サテライト・サロン)
会社HPhttps://my-power.jp/